ジョンミは小、中校の時から西日本選手権大会(北九州市開催)に出場して、優勝していました。その時松本先生の目に止まり先生のお気に入りだったようです。ジョンミのお父さんは貿易関係の会社の社長さんで日本語がペラペラでした。
ジョンミもお父さんの影響で日本語学校へ通い日本は始めから大好きだと言ってました。松本先生がジョンミのお父さんと仲良くなって口説いたんでしょう。短大へ誘って来るって決まったとき、私にも「朴パク貞美ジョンミが来るから来ないか?」って誘いでした。私はジョンミなんて知らないけど、その時のそのタイミングはとても良い条件だと思いました。
私達同級生は入学前から合宿所に入って友情を高めつつジョンミがやって来るのを待ち遠しく思いました。
ジョンミが日本に来て初めてジョンミのプレーを見てブランクが有るのを感じましたがみるみる戻って行きました。
まだ、日本語の会話が出来なくて『お風呂に入り~』って言うと「お風呂わかりませ~ん」じゃシャワーは通じるかなって思って『シャワーシャワー↑』「OK ! 」「シャワー有りません(>_<)」シャワーが付いてない合宿所でした^_^;。
ジョンミは日本語学校で日本人以上の礼儀を身に付けていましたから私達は日本の伝統を実は知らないんだと、感じました。
短大での講義では教授が語った内容や黒板を韓国語でノートに取り合宿所へ帰っては日本語に写し直す作業を続けた結果、日本人より遥かに成績が良かったです。私達は与えられた宿題をする程度でしたから(卓球をするために入学した位の考えで単位さえ取れば良かった)ジョンミは日本語を覚える事を前提にノートに書き続けたようでした。
ジョンミは脚も速くち長距離ではマラソン大会で優勝したことが有るってお父さんが事あるごとに「ジョンミNo. 1」って自慢そうでした。
練習中も私達下手っぴを相手するのにも手を抜く事をしませんでした。ダレたとこは見たこと無いです。しかし悲劇はジョンミの足の裏は柔らかく毎日毎日フットワークで水膨れが出来ては針で水を抜いていました。私の足の裏は固くなるタイプで水膨れとは縁がない足でした。(その時ばかりは足の裏を固く産んでくれて両親に感謝です)
松本先生は「ジョンミは背中だけ見せろ!!」って2年になってジョンミがキャプテンになりました。私は背中を追っかけました。
ジョンミが全日本学生シングルス2位になって帰って来たときは手に負えない最強だと感じました。
全日本選手権で混合ダブルスを組んだK 先生(日体大の 原 辰徳氏→橋幸夫氏→私が付けた現在のニックネーム布袋寅泰氏)はランクに入って良い思いをさせて貰った♪って今年会ったとき言われていました。
才能の上の努力↑ジョンミ物語
2013年6月21日 | 0 comments